心温まるエピソードが届きました。みなさまにはすてきなプレゼントが贈られます。
吊るされたジジ(長崎県・カレー大好き様)
オカダとスズキとの出逢いは、思いがけないものでした。
数年前、トイザらスさんの近くに引っ越してきた私は、外出の帰りなどにちょくちょく店内を物色していました。
梅雨の時期のある日、いつものように店内に入ると、天井から、大きなジジ(LL)がピアノ線で吊るされ、売られているのを見て衝撃を受けました。(食い込んでる!い、痛そう!!)すぐに自宅に写メを送り、救出作戦が始まりました。しかし会計を済ませ、いつあの子が降ろされるのかと待っていると、「お待たせしました!」明るい声とともに、奥から別の子が袋に入ってやってきたのです。救えなかったー(T_T)と思いましたが、これも運命かと、その子は既に家に居たジジLの父、スズキとしてお迎えすることにしました。もちろん、家の大事な一員です。母が、「あの子はみんなが売れるようにがんばってくれてるんだよ」と励ましてくれました。
ところが後日、偶然妹とトイザらスさんに行った時、あの吊るされたジジが、「現品限り」の札をつけていたのです!妹のフモとして、すぐに救出しました。そのまま大きなジジを抱えて、うどん屋さんに行ったのですが、恥ずかしさよりも嬉しさが勝っていたのを覚えています。
当時身体にくっきりあった吊るされ痕も今ではなくなり、オカダと名付けられ、ジジ7フモのお母さんとして、スズキのパートナーとして、また沢山のフモの元締め的存在となり、楽しく暮らしています。
大切な家族、けろーにょさん(和歌山県・ぶーん様)
フモフモさんは以前から知っていたのですが、可愛いなと思うだけでお迎えまではしませんでした。
29歳という女性の節目を迎えた時、当時遠距離恋愛していた彼が突然、他の女性と結婚してしまいました。看護師という仕事柄、体も疲れていましたし、パワハラやいじめ(真面目に仕事をするとターゲットになる)にも遭い、職場を退職。心身ともに疲れきり、もう明日はないんじゃないかというくらい毎日泣いてばかりいました。食事もままならず、眠れず、ほとんど寝たきりの生活が1ヶ月程続きました。そんな時、何気なくネットで見つけたのが、フモフモさんセーターのけろーにょさんでした。
真夏の暑い時期でしたが、ふっくらとした体型ににっこり笑顔のけろーにょさんに日々、癒やされていきました。その後、職場を変えて仕事に復帰。偶然知り合った彼が、フモフモさんにかえるがいることを知っていて、可愛いよねという話題になり盛り上がり、しばらくしてお付き合いすることになりました。
彼は私の過去を否定することなく受け止めてくれ、その後結婚し、今では夫です。けろーにょさんがいなければ、今の私はいません。嬉しいこと・楽しいこと・悲しいこともいつも笑顔で受け止めてくれるけろーにょさんは、大切な家族です。けろーにょさんはかえるだけに持ち主に幸せを迎えるようです。
フモフモさんは兄弟(福井県・なおふも様)
1才の頃からいつも一緒のフモフモさん。10年たった今でも一緒に寝ています。
学校へ行っている時は、フモフモさんはソファの上でお留守番。帰ってきてからは、ゲームをする時も抱っこするくらい手放せません。男の子なのでそろそろ卒業かな・・・と思っているのですが、一人っ子なのでまるで兄弟のように接しているのを見て微笑ましくなります。
もう、洗いすぎて中の綿が固くなって片寄り、腕などはスカスカです。でも、この子じゃないと自分のフモフモさんではなくなると言うのできっとずっとこのままなんだろうなぁ。その時のフモフモさんのポーズを見て、「寝てるよ」とか「リラックスしてるよ」とか「覗いてるよ」とか言いにきます。
あと、何回「見て!フモフモさんが○○してるよ!」が聞けるかな・・・。
親子で宝物(^^)(大分県・こゆあら様)
私には小さい頃おばあちゃんがプレゼントしてくれたモモちゃんというカメのあかちゃんのぬいぐるみがいます(^^)
ふわふわの肌触りでお出かけにも必ず連れて行っていたのを覚えています^_^!
モモちゃんという名前、今考えると不思議ですが出会った時に語り掛けたら自然とその名前が浮かんできました(^^)
今はその大切なモモちゃんを娘が可愛がっています(^^)モモちゃんは親子の宝物です^_^!!
息子くんの相棒(りょうママ様)
我が家の年中さんの幼稚園児の息子くんの相棒、ペンペンです。
入園前からどこに行くにもご一緒に・・・。今は、ごはんの時間になると自分のおもちゃのごはんを用意して並んで一緒に食べます。遊ぶ時もお出かけの時も寝るのも一緒。ペンペン専用の枕付きお布団です(笑)。息子くんの母手作りです。汚れや毛質の変化も相棒の勲章です(笑)。
いつも一緒にいてくれてありがとうね。これからもよろしくね!
ペンペンの母こと、りょうママより。
いつまでも大好きなパンくん(岐阜県・K様)
私が小さい頃まだ小学校行く前の頃に家族で動物園に行く予定をしていたのですが、私が風邪を引いて母と二人お留守番になってしまいました。その時に父と姉が私に買ってきてくれたぬいぐるみがパンダのぬいぐるみ!それからは毎日毎日一緒に寝ていました!
誕生日の写真を見るといつもパンダのぬいぐるみことパンくんが写っています!一時間ぐらいかかるおばあちゃんの家に行くのも一緒です!ですが泊りで行って帰ってきた時に忘れてしまったことがありました! 辛くてさみしくて心配で大泣きしました。変わりのぬいぐるみを抱きしめて寝ましたがパンくんじゃないと落ち着かず早くおばあちゃんの家に行きたくて行きたくて仕方なかったです! やっとおばあちゃんの家へ行ってパンくんにさわれた時は本当に嬉しかったしもう離さないからとなんども思いました!
今でもパンくんはいつも私を見れる位置に飾ってあります!
一生の中で1番宝物のぬいぐるみのパンくんです!
ガラス越しの笑顔(のんたむ様)
私も 小さい頃からぬいぐるみが大好きでした。
動物アレルギーということもあってか、毛のある動物を飼えないということもあり、持病のアトピーもひどかったせいか、性格も暗いため、友達も少なく、ぬいぐるみにはよく助けてもらいました。
本当の自分は人との間に見えない壁を作ってしまうような人間で、それは大人になってからも、恋人と居ても変わらなくて。今思うと、子供が出来ない身体のせいか、小さい頃に比べると、友達というより、子供のようにぬいぐるみを可愛がっていた気がします。
ある日、水族館で出会ったシロクマの子。私の一目惚れで、「メルーツ」という名前を付けました。それから一緒にいろんな場所に行ったり、一人の時におしゃべりしたりと、とても助けられました。素直に言えないことを、その子が伝えてくれて場を明るくしてくれたりと。
ある日、何気なく恋人とのドライブでメルーツと一緒に助手席に座って居ました。そんな時、信号待ちで、隣に止まった車の後部座席に、なんだかつまらなそうに外を見ている小さい男の子が目に入りました。何か落ち込むことでもあったのかな?と思って、私は車のガラス越しに、メルーツと一緒に手を振りました。すると、男の子がかこちらに気付き、両手を振って満面の笑みを浮かべてくれました。その子の乗っていた車が見えなくなるまで、私達は手を振り続けました。小さな男の子の笑顔はとても無垢で、大人になってしまった私にも元気を与えてくれました。
だいすきなふもちゃん(大阪府・みあい様)
赤ちゃんのときに、ふもさんのおんせんもちゃにあいました。それは、ふじさんのさるのショーでもらいました。
かえりにねているとき、ふもさんをわたされて、ぎゅっとだきしめていたとママがいっていました。それにおおきくなっていくうちに、もちゃくんはだんだんふるくなっていきます。でも気にいっているのでずっともっています。ぬいぐるみをすきになったのは、もちゃくんのおかげです。
いまふもふもさんをあつめています。いろいろなフモさんをもっています。もっていないものはまだまだありますが、これからもがんばってあつめたいと思っています。
その気にいっている赤ちゃんのときからいっしょにいるもちゃくんは、どこにいくにもいっしょです。
学校からかえってくると、いつももちゃくんをもってだいています。もちゃくんがいるとリラックスできます。ほんわかなかんじがしてかわいいです。いつもねるときいっしょにねています。
もちゃくんはいっしょうわすれたくないそんざいです。これからもがんばってもちつづけたいです。フモフモさんの中でも一ばん大すきなのはもちゃくんです。どこかでもっていないフモさんを見つけたら、ぜったい買ってもらいます。ずっと大すきでいたいです。もちゃくんはだんだんふるくなっていきますが、ぜったいにきらいにはなりません。
もちゃくんはとてもだいじで大すきです。
彼女との距離を縮めてくれたフモフモさん(くろふももさん)
今お付き合いしている彼女とは知り合って丸2年となります。
お世話になっている先輩からの紹介で知り合ったのですが、仲良くなったきっかけはお互いキャラクターグッズが好きなことでした。
彼女は高校生になったばかりの時に、当時アミューズメント景品であったフモフモさんを知り、それを彼女の親友がゲットしてくれたことがきっかけで、いつも変わらない穏やかな笑顔に癒しを感じてはまったそうです。(ちなみにファーストフモさんはとららさんMサイズ)
私はというとフモフモランドの皆様にはフモ活などでもお世話になっているので言わずもがななんですが、キャラクターグッズには目がなく、特にとあるマイナーな黒猫のキャラクターを物心ついたときから好きでした。
そんな可愛いもの大好きな(男子らしからぬ)性格が災いしてか笑、私も社会人になり、東急ハンズで買い物する機会があった時に、フモフモさんを何気なく知っていたのです。
ですが最初はもちろん、いわゆる元祖の3フモ(ふもも、まもも、すもも)しか知らず、(というか等級ハンズでそのフモさん以外も目にはしているものの覚えていない)そして知り合った彼女がそんなにも好きとは思わず、話をしていてビックリ(チェックが甘かった)。
彼女が私が長年贔屓にしているキャラクターを、私が彼女が長年贔屓にしているフモフモさんを互いに知っていたことがきっかけで(まさに私にとっては災い転じて福をなす、的な・・・笑災いという言い方はふさわしくないと思いますが一応男性である以上可愛いものが好きというのはコンプレックスの一つであったのでお許しください・・・笑)
すぐにお付き合いを始め、無事に2年が過ぎようとしています。
今ではすっかり私も混じって、二人揃ってのフモラーです。
これからもお互いを支え合っていけるよう、大変なことも乗り越えていけるように、いい意味でフモフモさんの癒しにも頼っていきたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
モモスーツとの再会(ももこ様)
私の元にモモスーツが来たのは10年ほど前、私が小学2年生の頃です。
祖父母の家に帰省すると、ホテルに勤める祖父は、毎日のようにホテルの売店でお土産を買ってきてくれました。
その時もらったのがモモスーツでした。
ぬいぐるみが大好きだった私は一目で気に入りました。
祖父がくれたお土産の中で一番の宝物になりました。
そして、私はふかふかの手触りと、なんの生き物かわからない不思議な可愛さに夢中になり、モモスーツはたくさんのぬいぐるみの中でも一番のお気に入りになりました。
両親に怒られたり何か嫌なことがあった時、いつもモモスーツに顔を押し付けて泣いていました。
頭の上の尖った部分を噛み締めたり、手の部分で涙を拭ったりして、モモスーツの手と頭の部分はいつも汚れていました。
しかし数年が経ったある日、ハウスダストアレルギーだった私は、母に枕元にあったすべてのぬいぐるみを片付けられてしまいました。
モモスーツはどこかに片付けられて、会えなくなってしまいました。
モモスーツが大好きだった私は、とてもショックでした。
フモフモさんの売り場を見かけたりホームページを見るたびに思い出していました。
高校生になっても、いつかまた探し出してあげたいと思っていた私は、先日ホームページでモモスーツを見ていた時、いてもたってもいられず、ついに意を決して、納戸やクローゼットの中を夢中で探しました。
モモスーツはごちゃごちゃの納戸の中で、待ってたよというように、私の涙や鼻水で汚れたモモスーツは不思議なほどすぐに見つかりました。
それから丁寧に洗って、ぺしゃんこになった体に綿をいっぱい詰めてあげました。
モモスーツはなんだか嬉しそうな顔に見えました。
今では見違えるほど綺麗になったモモスーツと一緒に寝ています。
ハッピーウエディング(みみぃ様)
私は小さい頃からぬいぐるみが好きで、高校も専門も、うさぎのぬいぐるみと通学する始末でした。
結婚するために引っ越し、病気でまともに動けなく友人に会うことも出来ず、旦那も朝から深夜まで仕事で話し相手がいなかったので、ずっとぬいぐるみたちと遊んでいました。
婚姻届を出した帰りに、初めてフモフモさんに会いました。なんともいえない表情がたまらなく連れて帰りました。
我が家のファーストフモのちびふもちゃん(小さいすももさん)です。
そこからフモフモさんにハマり、日々日々私の話し相手に増えていくフモフモさん。
もともとぬいぐるみに興味もない旦那は居場所が無くなり呆れていました(苦笑)。
結婚1年目の記念に、ずっとお迎えしたかったもちゃさんをスマイルピュアさんからお迎えしました。
ラッピング等はお願いしなかったのですが、ハッピーウエディングのラッピングで「よろしく!」と手をあげて到着したもちゃさん。フモフモ軍団にウンザリしていた旦那もこの姿を見たら気に入ったようで溺愛が始まりました。
今じゃもちゃなしでは寝られないくらい溺愛し、フモフモさんにハマってしまったようです。
それに他のぬいぐるみたちにも優しくなり、私もぬいぐるみたちも万々歳です。
今はグレーのペロちゃん(銀ちゃん2853様)
最初は私の5歳上の兄のぬいぐるみでした。
私は生まれつき足に障害抱えていて、入院など何度もしました。
小さい頃からぬいぐるみが大好きで、自分の最初のぬいぐるみが兄が持っていたクマのぬいぐるみでした。
名前はペロです。男の子です。
24年の付き合いで、辛い時や母を小さい頃に亡くしているのでペロちゃんが側で励ましてくれたし、母が生きてた頃に1度ペロちゃんの首がとれてしまい大泣きして、その日は抱っこ出来ず、側に寝かせて私も寝ました。
小学校上がる前にランドセル背負ってペロちゃんと学校ごっこしたり、いつも一緒でした。
母がなくなり、兄があげるよと言ってペロちゃんは私のぬいぐるみになりました。
兄とは暮らせず、中学から高校卒業までの6年は施設で暮らして、高校、施設卒業して18歳からまた慣れない1人暮らしがスタートし、約6年目に突入して、またペロちゃんの首がとれてしまい、今度は私が直して、今でもあたしと付き合い、一緒にいます。
今でもペロちゃんは元気です。
父を亡くし母を亡くし兄とは暮らさせずに1人暮らしスタートしてからもいろんなことがあったけど、いつも私の側にいて支えてくれたのはペロちゃんです。
これから先どうなるかわからないけど、これから先もずっとペロちゃんと一緒です。
ペロちゃん、小さい頃からずっと一緒にいてくれてありがとう!
昔は白でしたが今はグレーになりました。
愛されてる証です。